「男」としてより「人」として。 専業主夫 伊達功一の人生ストーリー

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就活生
親から「もっと男らしくしろ」とか「良い会社に入らないとダメだ」と言われていますが、期待に応えられず認めてもらえません。個人的にはそういった価値観が苦手だしこれからの時代は男性だからとか女性だからという考えではないように思います。自分らしく生きている方のストーリーが読みたいです。

 

こういった希望について、お応えします。 

 

この記事の内容

  • 配属から一年で人事異動できるかどうかがわかる

  • 公務員の仕事内容・業界のことを知りたい人へのオススメ本

 

 

2019年、春—。

 

男女共働きの家庭も増え、「男は仕事、女は家事」という常識もだんだんと変化してきている。

しかし、日本ではいまだにこの価値観は根強い。

そんな中、「男としてこうあるべき」という価値観を取っ払い、堂々と生きている男性がいる。

 

 

伊達功一さん、55歳。

 

伊達家は、妻の智子さんが看護師としてフルタイムで病院に勤務。

 

功一さんは専業主夫として家族を支えながら智子さんのやりたいことを応援している。

 

功一さんが専業主夫となって8年が経った—。

 

主夫となった当初、功一さんが子どもの送迎や洗濯物を干している姿に対して周りの目は冷たかったという。

 

 

Q:専業主夫となった当初、「男らしくあるべき」という世間の目、常識については気になりましたか??

▼功一

2012年から専業主夫になったんですけど、ぼく的には自然な流れで妻とチェンジできました。

世間的には肩書きがないし、無職だから。

はっきりいっちゃえば「負け組」とみられていましたね。

 

でも、ぼくたち夫婦は「負け組」なんて思ってないし、むしろ「幸福組」だと思っていたので周りになんと言われていても、黙々と過ごしてました。

 

 

▼智子

私は「旦那さんが主夫してる」というと、

「子どもが学校行ってる間に働けばいいのに」とか

「よう離婚せえへんかったなぁ」なんて言われました。

 

でも「旦那さんがご飯作ってる」と言ったら「えらいやん!」って言われて、「オイオイ私が主婦してた時ご飯作ってえらいなんて言われんかったぞ!」と。

 

なんか「男の人は働くべき」というのがまだ世間の声だと思いました。

 

仕事を持つ女性は仕事も家事も完璧求められる風潮があるように思いますよね。

専業主婦も完璧求められる風潮があるとものすごく感じました。

 

Q:今は専業主夫としてどんな日常をおくっているんですか?

▼功一

主には朝ごはんを作って洗濯して、掃除して。

うちの子ども2人とも障がいがあるんですよ。

重度の知的障がい。

 

それで作業所に送り迎えしたり夕飯を作って、子どもお風呂に入れて寝かせてという毎日です。

 

あ、みなさんは市役所に行くのって1年に1回くらいでしょう?

所得証明とか住民票をとったりするくらいだと思うんです。

 

▼功一

うちは毎月1回行ってます。

障がい者の支援制度の更新手続きが必要なので。

これが結構大変です。

 

 

 

なぜ彼は専業主夫になったのか

Q:伊達さんが専業主夫になったキッカケは??

▼功一

専業主夫になる前…仕事を辞めたのは48歳の時でした。

当時、某電機メーカーの子会社の正社員だったんですけど、所属していた事業の廃止が決まって、出向か、退職するかしかなかったんです。

元々は、派遣会社の契約社員としてその某電機メーカーに派遣されて、そこでがんばっていて。

それで「正社員なった!」って思ったら、3年目で事業廃止。

 

▼功一

ちょうど東日本大震災が起こった2011年で経済はガタガタで職がない。

あっても非正規雇用しかなくて。

その前の会社でもリストラにあったんですけど、この時、2度目だったので。

もうね…

”もう、やりきった”って感じでした。

 

 

Q:「やりきった」とは??

▼功一

「ここまで頑張ることができたなぁ」って思いました。

出会った上司たちが有期間社員から正社員になる試験を受ける時にもすごく応援してくれてたんですよ。

「いい人に巡り合えたなぁ」と。

感謝して自己退職しました。

 

 

▼功一

過去にも、正社員の試験に落ちた時、

「俺いない方がいいのかなぁ…死にたい」と思ってた時期もありました。

その時は家族の顔が浮かんで、思いとどまったこともあります。

 

▼智子

正社員の試験がうまくいかなかったとき、家にいなくて

携帯電話に電話しても繋がらなくて、ゾッとしたんですよ。

 

帰ってきたらコンビニでプリン買って帰ってきた。

何年か経って「あの時死にたかった」と言われて。

ホントにキツかったんだろうなと。

 

Q:功一さんが退職する前は(妻の)智子さんが専業主婦をされてたんですか?

▼功一

妻はぼくの仕事が休みの時にパートの看護師として働いてくれてました。

重度の知的障がいの子どもが2人いるので、家を空けることが難しいんですよ。

 

ぼくが仕事を辞めたら「食べていかなきゃならないから今後どうする?」って妻と話した時に、「役割を変えない?」と提案してくれて。それで妻がフルタイムで働いてぼくが専業主夫になるっていうスタイルになりました。

この時長男が小学6年生で、次男が小学5年生でしたね。

 

Q:「男らしくあるべき」という世間の目、常識はどう乗り越えましたか?

▼功一

「男は外で働くもの」という教育を受けてはきたので、周りの目やを気にしてないと言われれば嘘になるけど、「子どもが障がいを持っているからこういうのもありやなぁ」と。色眼鏡ではみられたけれど気にしませんでした。

もうね、派遣社員になる時にプライドは捨てました。

 

今。妻の給料の半分は僕がもらって「これが仕事だ」と言い聞かせています。

「妻の収入の半分は自分のものだ」と。

 

 

 

Q:「妻の収入の半分は自分のものだ」ってどういうことですか?

▼功一

新婚当初ってすぐに子どもができたんです。
その頃、妻はほしいもの……普通女性だったらバッグとかほしいじゃないですか?

家のことやってくれてるからぼくの収入の半分は妻のだからほしいものがあったら買えって言ってたんです。

今はその関係が逆になったので、ぼくとしては「妻の収入の半分は自分のものだ」と思っているんです。

 

▼功一

妻が外で頑張っているし、外で仕事している大変さはわかってるから、妻が新喜劇とか見に行くのも「気分転換になるから行っといで」と言ってます。

帰りが遅いと心配するからそれだけは言ってほしいですね(笑)

 

 

 

***

功一さんは、障がいを持つお子さんの養育に全力で向き合っている。

***

 

 

Q:普段、お子さんとはどんな風に向き合われていますか??

▼功一

1998年、35歳の時に妻と結婚して。

翌年長男が誕生して…もう20年くらいになります。

 

20歳と18歳の2人の息子がいるんですけど、常に物音、行動を把握しないとね、大変なことになるんです。

例えば、トイレにいくと周りがビチャビチャ。

服を脱いだり着たりして散らかす。

あと刃物、ガスレンジには近づけないようにしてます。

 

物音がしなかったら、子どもの部屋に見に行ったり…。

安心してぼーっとする時間がないですね。

 

あと、学校行く時機嫌悪かったら時間かかるのでそこも結構大変です。

特に次男はこだわりとか強く、嫌なことがあるとテコでも動かないことがあります。そんな時は、YouTubeで公開されている高速道路でドライブしている映像を見せながら機嫌よく学校に行くようにしています。日帰り旅行でよく出かけてきたこともあって、ドライブの映像が好きなんです。

 

 

Q:息子さんたちに障がいがあるとわかった時はどう感じていましたか?

▼功一

特に何も思わなかったというより、神様が与えたものやから。

そのことが悪いというものじゃないなぁと。個性、特性やから。

長男は2歳で言葉も遅くて、次男も徐々に特性がわかってきたから、障がいがあることに気づいたのは自然な感じでした。

 

「療育園(※)の先生にもう少し喋れるようになりますか?」と聞いた時、先生は「うーん」と考えた後、「ものすごく緩やかだけど今より話せるようになります」と言われて、「あーそうかぁ」と受け止めようと思いました。

 

※療育園

障がいのある子どもに対して、それぞれに合った治療・教育を行う場所。

母子通園型や毎日通園型など様々。

保育士、臨床心理士、言語聴覚士などの専門職がいる。

 

 

 

Q:障がいを持つ子どもの家庭は離婚率が高いと聞くこともありますが、実際、離婚の危機はありましたか? これまでの子育てで大変だったなぁと思うことは?

▼功一

私は結婚した時から離婚は考えなかったですね。

子どもがいる以上そんなことは考えられなかった。

 

▼智子

私は、離婚を考えたことはあります。

子どもが小さい頃、「発達の遅れがあるよ」と夫に言っても『普通や』と言い切ってたんです。今では信じられないけど。

話しても気持ちわかってくれないと感じてましたね。

あの時は、感情的になってたからかなぁ。(笑)

 

Q:智子さんは離婚も考えられていたと。その状況をどう乗り越えましたか?

▼功一

とにかく妻の話を聞くようにしました。

仕事遅くて帰っても、辛い顔していたら話をとことん聞いて。

感情的になっている時は落ち着くようにして、思いを整理してからまた話して。

子どもが不利な対応をされた時は一緒に対策を考えていました。

学校の先生の対応が納得いかなかったりすると2人で小学校に行って話を聞きにもいきましたね。

 

 

▼智子

去年20回目の結婚記念日を迎えたけど、私たちはタッグ組んで子どもを応援してます。

夫婦でもタッグ組めていない夫婦も中には少なくないですよね。

考えの違いは話し合って、試行錯誤するのがパートナーシップだと考えます。

 

 

Q:功一さんが主夫になってから、お子さんたちは変化にありましたか?

▼智子

役割を交代した時は心配でしたね。

環境の変化に脆弱な2人の息子の動向が。

 

長男はちょっぴり寂しそうだったけど、

次男の冷酷とも思えるような切り替えの仕方はびっくりしました。

彼らも柔軟に対応しましたよ。

 

今までママ命だったのに、その時からパパ命に。

パパの言うことしか聞かなくなるという(笑)。

 

あと、専業主夫になりたての頃はの料理でインパクト強かったのは、献立のアンバランス。

なんでカレーライスの副菜が刺身なのか、なぜスパゲティの副菜がマカロニサラダなのかわからなかった(笑)。

 

▼功一

専業主夫になった最初1ヶ月は妻に研修を受けました。

その時に料理を見ていて気づいたんですけど、料理って工場のモノづくりに似てるなぁって。

 

食材と調味料と水でしょ?

レシピもあるしそれ通りやってたらできるようになっていきましたね。

 

でも家事は慣れたけど、料理の献立を考えるのって本当に大変ですね。

買い物も大変だし。

妻が休みの時作ってくれるご飯は本当に作ってもらったご飯は美味しいなぁとしみじみ思います。

 

▼智子

この写真の料理はインフルエンザ中に部屋に隔離されてる時のものです。

今では、魚の煮付けとか私が作るよりも上手になってますよ。

 

 

▼功一

専業主夫になってまず思ったのは、社会現場と家事現場の動きって全然違うことを感じました。

妻は身長があるのでキッチンとか高めに設定してるんですけど、腰痛や筋肉痛になってました。

かがむ動作が多いですね。世の中の主婦はこんなにがんばってるんだなぁって感じましたよ。

 

あと、妻は夜勤があるから「子どもたちは夜寝てくれるかな」とかも心配だったけど、本当に柔軟に対応してくれました。

 

彼らも割り切ったんでしょうね。

「ママ=外に行く人」

「パパ=家いる人」って。

子どもたちの力にびっくりしましたよ。

 

あと学校の行事もたくさんあるから準備も大変だなって思いました。

 

▼智子

もしもの時に備えてこういう危機管理ノートを作ってたんです。

 

 

Q:かわいいノートですね。タイトルとのギャップがすごいですね(笑)

▼智子

いやー、内容がシビアなんで。

せめてノートだけはポップにね(笑)

 

 

▼智子

家事のこととかはもちろん書いてますけど、役所の手続きも書いてます。

ほぼ毎月役所の手続きがありますから。

 

▼智子

急に事故とかで亡くなるかもしれないでしょう?

遺書も書いてます。

 

 

Q:世の中の障がいをもつ子どもの養育をされている家庭についてはどう感じていますか?

▼智子

世間の理解はないし、孤独の中で養育するわけですからハードだと思いますよ。

そんな中、夫は仕事で疲れて帰ってくるじゃないですか?

 

妻の疲れた顔や、悲壮な顔を見たくないので仕事に没頭するんじゃないかと。

障がいがある子どもとは認めたくないとか、否認していることもありますからね。

 

特に自閉スペクトラムの子どもたちは、睡眠障がいも併発しています。

だから夜寝ていたら玄関から出て行方不明になって警察のお世話になっているのも少なくないです。

安心できる時がない。

▼智子

あとは道路に飛び出そうとしたりするのもしばしば。

次男もよくありました。

長男は学童のBBQ大会で行方不明に1回なって、警察にお世話になりました。

 

そりゃ疲弊するし、「なんでみんなが手に入れられるものがわたしには手に入らなかったんだろう」って途方にくれましたね。

その上で夫に理解なかったら持たないです。

他にも療育や病院への受診で大変だし。

 

▼功一

母は辛くても目の前の子供から逃げられないし、夫に協力求めたいけど夫が逃げたらケンカが絶えないし。

逃げたいですよ。この現実に。

向き合うことができるかできないかで夫婦関係が決まると思います。

「向き合わない人と一緒にいるより別れた方がいい」と結論を出してしまうんでしょうね。

 

 

▼智子

あと、うちはそんなことなかったけど、お姑さんやお舅さんに責められてしまうこともありますよね。

 

「あなたの先祖・遺伝が原因じゃないのか」とか

「うちはそう言う家系じゃない」とか

そういうことを言われて追い詰められてる人がいます。

 

障がいがあるとわかった時点で、社会不適合者と認定されて。

だから誰にも言えずに悩みを一人で抱えて孤独になって、自分を責めてしまうんです。

そうして新興宗教に入信するケースもあると聞きます。

 

 

 

Q:あの、ぼくは元公務員で役所で働いてたんでわかるんですけど、障がい者支援の制度を利用する時って役所の手続きも結構大変ですよね?実際どう感じられていますか?

▼功一

制度もややこしくて、主夫になりたての頃は妻に聞きながらイライラしてました。

長男が成人になったから、児童福祉法から障害者総合支援法に切り替えで、区分認定や、障がい年金申請の手続き、自立支援医療の更新、新しい支援を受けるための申請などあって。

窓口は別々だし、これはどこに申請すれば良いのかとかもわからないし。

障がい者を持つ家族の忙しいところですよね。

 

 

▼智子

支援学校に通学していた時に重要なのが連絡帳。

連絡帳は作業所でも重要で、彼らの生活してる様子を聴きながら親と支援者との情報交換をするんです。

これは私が書いてます。

外で働いているから普段の様子やしていることを知りたいから。

 

 

 

 

 

専業主夫になってから子どもたちのためにPTA会長に挑戦

また、功一さんには、PTA会長としても活動しながら福祉や教育のリアルな現場も見てきた過去もある。

***

 

 

Q:なぜPTA会長になったんですか?キッカケは?

▼功一

専業主夫2年目の時に、妻に勧められたんです。

2013年から2015年までPTA会長をさせていただきました。

人の前に立つのは苦手だけど、「子どものために何かできることがあれば」と思ったし、「子どもには学校生活を楽しくおくってほしい」と思ったので。

学校の先生からも勧められたのもありますね。

 

▼智子

私が専業主婦の時、全く社会との接点がなくて孤独感がすごかったから夫には外との接点を持ってほしかったんですよ。

私は看護師として精神科で働いているんですけど、アルコール依存症や鬱の方のきっかけがリストラで家から出られないという方を看てきました。

そのことを心配してたんです実は。アルコール依存やギャンブル依存にならないかなとか。

 

それにPTA会長は彼が適任だと思ったんです。

なぜかというと、実直で子ども思いで他の子どものことも考えられる人だから。

 

 

Q: PTA会長ってどんな活動をしているんですか?

▼功一

いや、実は色々ありすぎて。

学校で生徒が困ってることがあれば教育委員会へ要望したり、

全国PTA総会への参加したり、

入学式、運動会、生活発表会、卒業式での挨拶とか。

 

学校での冬祭りの準備もあるし。

各委員会、執行委員の会議とか…。

 

支援学校のPTA会長は、小中学校のPTA会長とは全く違って規模が大きいんです。

支援学校の小中学部は2人に1人先生配置なので先生の数も全然違いますから。

 

 

▼智子

式などで人前で話す挨拶文は私が考えてました。

人前で話すのがものすごく苦手だから一生懸命練習してた(笑)

 

写真:当時、智子さんが書いていた原稿

写真:当時、智子さんが書いていた原稿

 

 

 

 

Q:PTA活動で苦労されたことは??

▼功一

やっぱりみんなの前での挨拶が苦手で困りましたね。

特に運動会の時、高いところ登りますよね?

あそこで頭真っ白になって練習したこと吹っ飛んでました。

 

あと、周りは女の人ばかりで男性は自分だけじゃないですか。

いろんなお母さんがいますからね。

 

食事にに誘われたりするのは有り難かったんですけど女性ってコーヒーだけで長時間話せるんですね。

最初は戸惑いましたね。

あと、PTAの活動をよろしく思わない先生もいたし。

 

「常識」って人によって本当に様々なんで、対応が大変でした。

 

 

Q:どうやって人間関係を乗り越えました?

▼功一

役員でも何にもやらない人がいましたけど、その人の仕事も兼任してました。

それしか方法なくて。

校長先生にはよく相談してましたよ。

 

▼功一

校長先生は包容力のある方で超ベテランでしたから障がい児、障がい者の環境の現状など、ほんとにいろんなこと教えてもらいました。あと、ぼくがPTA会長赴任時には、「就労支援プロジェクト」が始まっていました。

 

▼智子

夫はあんまり言わないんですけど、校長先生と一緒に、一般就労の割合をあげる活動をしてたんです。

一般就労率が高い支援学校に見学に行ったり、話を聞いたり。

見学したある支援学校の高等部では作業教室に業務用の洗濯機があって実習するんです。

お客様から洗濯物をお預かりして、クリーニング実際にして、渡すことまでおこなうんです。

 

それまでは、「支援学校から作業所」っていう流れだったけど、そういう取り組みがされてから教員の先生方の意識も変わったし、支援学校生の卒業後の進路に企業の名前が増えていきましたね。

 

校長先生と全国PTA総会に参加した時一緒に飲みに行ったりして(笑)

校長先生とPTA会長でそんなに仲が良いっていうのもあまりないですよ。

 

校長室に夫と一緒に入ったら「おうっ!」ってフレンドリーに笑顔で迎えてもらって、良い関係なんだなぁと感じました。

 

 

▼功一

あと、今の時代って「情報」って大事ですよね。

SNSの時代だし、発達障がいを持つ人にとって視覚からの情報が入りやすい環境になっているから高等部の生徒にiPadを配布しようと思って。

 

准校長からある資料を見せてもらった時、生徒1人に5万円の情報機器の予算が付いていることを知ったんです。

 

予算が割り振られていたのにもかかわらず、使ってなかったんですよ。

准校長に他の学校は既に配布されていたのでなぜ使わないのかを聞いたんです。

「充電器など学校として管理が大変だから」とかいろいろ言われたんで、他校のノウハウも聞いてやってくださいと頼みました。

紆余曲折ありましたが最終的には配布することになりました。

 

※准校長とは

支援学校の支援は多様化しているため支援学校は小、中学部は校長。

高等部は准校長が担当することとなっている。

支援学校全体の責任者は校長。

 

 

写真:配布したiPad

写真:配布したiPad

 

 

▼智子

夫のPTA会長最後の年に、その校長先生も定年で学校を去ることになっていて。

その年は次男の中学の卒業式もあって。

卒業式での挨拶文はいつのまにか彼が原稿をしっかり書いていました。

 

私は校長先生に最後声をかけさせてもらいました。

その校長先生、マラソン大会の時絶対に仮装するんですよ。

スパイダーマンとかの格好で子どもと走るからそんな先生が大好きで(笑)

 

『主人を新しい世界に連れてっていただいてありがとうございました。先生のおかげです。

一緒に飲みに行ってくださってありがとうございます』って伝えたら校長先生は泣いてましたね。

校長先生が泣くとは思わなくってビックリしましたよ。

 

夫にそのこというと、「保護者からそんな言葉もらうことはないから。いつもクレームとかばっかりやからなぁ」と言われました。

 

夫には「PTA会長の卒業おめでとう」といいましたけど、「まだ引き継ぎあるから」と冷静に発言されました(苦笑)

 

 

Q:功一さんは、PTA会長時代に思い出に残っているエピソードってありますか?

▼功一

PTA会長して嬉しかったことは、大きく3つあります。

①子どもと学年が違う生徒に「会長!」と声をかけてもらえたこと

②高槻支援学校の50周年記念式典を無事終えたこと

③会長やめる時に「なんでやめるんですか」と声をかけていただいたこと

 

特に、②の50周年記念式典はビッグイベントでした。

何よりも、僕一人だけががんばってしたのではなくて、先生や他の保護者の協力もあってできたことだから。

これは記念式典だけでなく、全ての活動に言えることですね。

 

 

写真:記念式典時の写真 原稿用紙3枚の内容を書いて1ヶ月練習して臨んだ。

写真:記念式典時の写真。原稿用紙3枚の内容を書いて1ヶ月練習して臨んだ。

 

 

Q:創立50周年記念式典って聞いたことがありますが、どんな活動をされてたんですか?

▼功一

誰を呼ぶかとかは先生がやってくれたんですけど、準備が大変でしたね。

PTA会費の資金でやりくりして、式典で購入した物品を調整したり、式典のプログラムの文章考えるのも大変で。

 

この時の挨拶の文章を覚えるのが大変でしたね。

原稿を見ながら読むと、文章が飛んだりするから覚えた方がいいかなと一生懸命覚えました。

何も見ずに挨拶させてもらって先生方に大絶賛もらった時は嬉しかったんですけど。

 

あと、50周年の式典の余ったお金で災害対策をしました。

その前から南海トラフ地震に備えていろいろ備蓄品をPTA会費で揃えていたんです。

水、食料などですね。

うちの自宅にも災害バックを常備してます。

写真:災害パック

写真:災害パック

 

Q:災害対策とは具体的にどんなことをしたんですか?

▼功一

PTA会長時代に学校の倉庫にヘルメットが未開封のまま眠っていて。

これは過去に電機メーカーに勤めていた私にとっては信じられないことで。

ヘルメットとヘルメットホルダーに番号をつけて管理して、全教室人数分配布したんです。

50周年の式典の余ったお金で教師の分のヘルメットも購入して職員室に配布しました。

 

 

▼智子

2018年に大阪北部地震があったでしょ?

あの時に校舎の壁がヒビ行ったり、

天井からガレキが落ちる可能性あって。

でも、生徒がヘルメットを着用して教室から移動しているのを見て、「夫が安全対策の活動をしていたのが実を結んでいる」って思って尊敬しました。

 

 

▼功一

あの日は、いつものように妻は職場にすでに出勤していて。

ぼくは子どもたちの送り迎えの準備で駐車場に向かい、車を出そうとしたその時に見た時計の時間が7時58分でしたね。

 

ぼくが阪神淡路大震災で経験した時よりも大きな揺れでした。

車に向かって柱の壁が倒れてきたので。

とっさの判断で車から降りて揺れがおさまるのを待ちました。(車は大破)

 

急いで子どもたちのいる自宅へ行ったところ、子どもたちは無事でした。

 

台所に行くと大量の食器が割れていて。

風呂の浴槽は浮いてしまってましたね。

電気はつくけど、ガスは止まってて混乱しました。

 

写真:地震当時のもの

写真:地震当時のもの

 

▼智子

その時に電話したんですけど、子どもたちは怖かったでしょうし、功一さんも一歩間違えれば死んでましたからね。

電話でその現状知った時、一緒にいることができない自分を責めました。

 

その時日勤だったんですけど、上司が「もう帰り」と言ってくれて。

でも、電車も復旧してなかったので深夜勤のスタッフさんが一緒に行けるところまで乗せて行くよと勤務先から自宅までまで7時間かけて車で送ってもらいました。その途中に水とか食料とか買いながら。このご恩は忘れないです。

 

無事だと電話で確認したものの、実際に帰るまでは気が気じゃなかったですね。

その時に食べたチキンラーメンの味は忘れませんよ。

 

家族が無事で一緒に過ごせる時間が尊いことを実感しました。

モノはいずれ壊れるし、私たちがあの世に持っていけるものは思い出とか人との繋がりとか、がんばったことへの達成感なんだなぁと感じました。

 

 

 

伊達家のモットーはモノより思い出

▼功一

親の体が元気なうちにいろんなところ連れていって経験してもらうことが大事だと思っていて、家族で日帰りで弾丸ツアーをしてるんです。

 

 

▼智子

神戸でヘリコプターに乗る体験した時は良かったよね。

ちなみに高所恐怖症の夫と次男は乗ってないけど(笑)

 

1番遠いところで静岡県の日本平。

「富士山が見たいから」という理由でいっていきましたが滞在時間30分で終了。

 

その間、久能山東照宮をマッハで見るハメに。

あと、高知県桂浜は、「鰹のタタキが食べたい」という理由で行ったし、広島県呉市の大和ミュージアムに行ったり。

本来なら一泊旅行でし行くレベルですけど(笑)

 

▼智子

「日帰りで九州行きたい」と言った時は全力で反対しました。

あと遠くはないけど奈良県の玉置神社。

あそこの道はめちゃくちゃきつかったなぁ。

 

 

▼功一

子どもたちとの楽しい思い出を作るためにお金を使いたいですね。

形に残らないものに価値を見いだすことに気づくことができたのは子どもたちのおかげです。

 

▼功一

彼らが健常者であればこのような苦を経験しなくても良かったかもしれませんが、この経験しているからこそ手に入れたものものは尊いなと。

 

▼智子

専業主夫にもならなかったと思うよね。

共働きだったと思う。

世間から見たら彼は肩書もないし、権力もないし、負け組と言われることでしょう。

だけど私はそうは思えない。

尊敬しているし、有難い。

 

「こういう生き方もある」って知ってもらいたいからハルさんに連絡しました。

今障がい児の家庭で、うちのようなスタイルの家庭が増えているらしいですよ。

学校の先生が言ってました。

 

 

▼智子

障がい児持ってるお母さんやお父さんは鬱病になっている人が少なくないし、養育出来ずに子どもが児童養護施設に入っていることが少なくないんです。

それだけ過酷で大変な育児なのかもしれません。

 

 

「障がいがあるから」と言って諦めない

▼功一

「とりあえずやってみよう」って大事ですよ。

やってみてあかんかったらダメだったか、しょうがないことだし。

 

障がいを持つ子どもを待つ家庭は外出するのを躊躇します。

なぜならパニックや他の人の目が気になる人もいるから。

 

でも子どもが小さい頃にいろんな経験をさせないといつまでたっても環境に対しての柔軟性が育たないです。

子どもが小さい頃なら親が頭下げればいいこと。

 

マクドで次男が他のお客さんのポテトを食べた時に、『しつけが悪い、親が悪い』と責められたが頭を下げて許してもらいました。

それは社会人としてやってはならないことだから当然謝るんです。

「この子障がいあるんです」っていうのはいいわけだから。

配慮は必要だけど、社会としてのルールで「人のものをとってはいけない」っていうのは障がい云々関係ないですからね。

 

 

▼智子

「他人に迷惑かけてはならない」ってあるでしょ。

これが当事者の苦しみにつながっていて。

 

何も悪いことやってないのに世間の目を気にすることばかりに目を向けてしまうんですよね。

いわゆる色眼鏡で「障がい持って生まれてきてかわいそう」って言われることもあるんですけど、「かわいそう」という言葉はわたしが1番嫌いな言葉です。

逆に嫌いな人にはこの言葉を大いに使います(笑)

 

 

「かわいそう」というのは自分がそういう風になりたくないからいう言葉だと思ってるんです。

 

「障がいを持っていても強く生きている人たちがいます」という言葉あるじゃないですか。

よく「〇〇時間テレビ」で見かける言葉で。

 

「障がいに負けない」って、、、

「勝ち負けなんてあるんですか」って言いたい。

 

お涙頂戴ものでドラマチックにしようとしているし、特別扱いしているのってそれこそ偏見しかないですよ。

そういうドキュメンタリー見ると絶対に小田和正の「言葉にならない」がBGMで流されていて(苦笑)。

 

特別じゃなく、日常なんですよ。

今お話ししている内容も伊達家の日常のことです。

 

 

子どもたちの「親亡き後」を考える

▼功一

うちは健常の子どもがいないし2人とも重度の障がい者です。

彼らが保育園の頃から大人になった時を考えていました。

 

グループホームに入所してほしくても施設が少ないし、終の住処となるので、空きがない。

 

いっそのこと24時間ヘルパーを導入して2人ですまそうかと考えた矢先に、相模原の事件が起こってしまいました。

知的障がい者施設に侵入し、大量殺人が起こった事件ですね。

 

支援する側も本人たちも安心できることが1番なので、グループホーム入所はできるだけ早くと願っていたら、長男がグループホーム入所の機会がありました。

 

「こんなに早くご縁があるとは思わなんだ」

「もう少し子どもと過ごしたい」

「あまりにも早いのでは」と、正直戸惑いました。

 

でも、この話を断るとまたいつチャンスが訪れるかはわからないでしょう?

妻も戸惑ったけど、「やろう!」と体験入所をして、長男の入所が決まりました。

 

 

Q:候補者の中からどんな風に選ばれるというか、具体的にはどういう流れで決まるんですか??

▼功一

計画支援を担当してくれている人から、「グループホームが1つ空いてるけどどうですか?」と話をいただいて、まず1週間体験したんですね。

それで、作業所の所長さんや計画支援を担当してくれる人、グループホームの方々が話し合ってくれて入所が決定しました。

それから彼が過ごしやすいように入所に必要なものを買い揃えて、、、音楽好きだから、ラジカセ、YouTube見ることできるテレビ、洋服、タンス、座椅子とか。

 

そうして今年の2月、長男が独り立ちをしました。

 

ぼくは巣立ち症候群になってしまって、食料の買い出しなんかはいつもの感覚で買うので、人数よりも多くなってしまうことしばしばありました。

このグループホーム入所に繋がったのは、年に1回か2回行われる学校の懇談や支援者との会議とかモニタリングとかしているんですけど、その度に将来は出来るだけ早くグループホーム入所目指すと言い続けてきたからだと思います。

今考えるとね。

 

 

▼智子

正直いうと、「これで良かったのかな?」と戸惑いはあります。

でも夫と話して、「親亡き後」を考えるべきだなと。25歳くらいには成年後見制度を使います。

私たちの目の黒いうちに後見人を決めたいし、任意後見人をつけることを考えてます。

 

こんなことを言うとびっくりされるかもしれないですけど、障がい者の親は「自分は子どもより早く死なない」と思っている人もいるんです。

 

80歳の母が中高年になった子どもの作業所の送迎してたり。

「あれ?作業所無断で休んでるなぁ」と連絡を取ったら繋がらない…それで自宅に行ったら親は死んでいてそこに当事者がいたっていうのは珍しくない話です。

 

こういう話を私は職場で、彼はPTA会長している時に聞いています。

 

 

 

▼功一

子どもにとって最善の環境を整えたいんです。

勝手に決められた支援のもとで人生決められるより、自分で選択できるところはしてほしいなと。

 

だからこそ地域の小学校に入学させたこともあって。

学童にも入ってもらってました。

 

うちには健常者の兄弟がいません。

障がい者ばかりの世界だけでは同世代の健常者と繋がりが全くない環境となるでしょう?

それは親としても視野が狭くなるし、孤独になりますよ。

 

やっぱり、知ってもらうことから始まりますよね。

それで「あぁ、こういう支援が必要だな」と助けてくれる人を増やしたかったので、あえて茨の道を選択しました。

 

自由を縛る方が簡単じゃないですか?

大変でしたけど、本人の気持ちを尊重するのを大事にしたくて。

 

▼智子

いじめられたりとかはなかったけど、長男は学級崩壊を経験しました。

その時の長男は周りを見ていたけど決してブレずに自分の道を歩んでいて。

夫が専業主夫となって家庭という安心基地を作ってくれて、常に家族のために働いてくれたことが子どもにとっても大きな安心感があったと思うんです。

だからグループホーム入所してもブレない人に成長してくれたと思っています。

 

安全基地を得ている人はどんな環境にいてもブレないように成長すると言われていますし。

 

 

 

子育ては親育て

▼功一

障がいのある子を育てていて思うのは、「助けて」と言える子どもになってほしいのであれば、親も「助けて」が言えないとって思いましたね。

「私だけしんどい」と思うとどんどん孤独となってしまうんで「助けて」と言う勇気を持つことが大事だなと。

 

支援の手を断らないこと。

世間体を気にしないこと。

子どものことを誇りに思うこと。

自立の一歩はヘルプを出すこと。

そうするからこそ支援を受けやすいですからね。

 

子どもの特性を理解して、「助けて」と声に出せる方法を子どもとともに考えることが必要ですね。

子どもの前では出来るだけケンカはみせたくないけど、そんなこと言ってる場合じゃない時もあります。

 

そして何よりも夫婦が仲良くいることですね。

子ども達はよく見てますから。

 

 

▼智子

子どもの障がいと向き合うことが1番キツいんです。

キューブラロスの「死の受容」というものがあって、これは死を受け入れるプロセスのことなんですけど、これが障がいの受容でも同じプロセスを踏みます。

 

障がいを受容する中で「否認」というのがあります。

逃げたいんですよこの現実に。

でも、向き合うことができるかできないかで夫婦関係が決まると思います。

向き合うことができないと離婚という選択を考えてしまいますよ。

向き合って、受け入れて、この子はこの子でいいんだって夫婦が感じること。

 

 

そして父、母も自分を自愛すること。

自分を大切にしないと人を大切にできないですよ。

 

他人の評価を気にせず、「これでいいねん!」と胸張って過ごすことが大事ですね。

私たち夫婦も経験しているから言えることなんですけど、子育ては女性に一任するのではなく、父も参加することが大切です。

 

 

▼功一

障がいを持つ子どもの親御さんに言いたいことなんですが、これはあくまでも2人の息子たちの特性を感じて、考えて私たちが対応したことです。

私たちがやってきたことが全て正しいとは限りません。

 

でも、子どもたちが自分で自分のことを決めていく気持ちをを大切にすることって大事だと思うんです。

 

よくファミレス行って、親が勝手に子どものご飯決めてしまうという経験ないですか?

「その量食べられんよ」とか「汚れるから」とか。

 

子どもの特性、噛む力が弱いとかは考慮しますが、子どもが選んだものに対して、親が操作しないことですね。

選択させる力をつけることが大事だと思っています。

 

ぼくたちはそんなふうに子どもからいろいろ学ばせてもらっています。

 

 

今後の夢・目標

▼功一

妻と旅行したいですね。

目先の目標としては次男の自立。

 

そして自分の生き方を他の人に知ってもらって「こういう生き方もありなんじゃないか」と感じてくれる人がいたら嬉しいですね。

 

男だから外で働いて家族を養うことが全てではないし。

今、鬱などの病気で働くことができない男性が多いじゃないですか。

 

「男だから働かなければならない」とか、「働けないのは情けない」と自分を責めている方が少なくないとは思います。

「家族に申し訳ない」とか。

 

仕事ができなくても家族のためにできることはたくさんあるんじゃないかなぁと思うんです。

この世に必要でない人はいないし。

 

時代もこれだけ変わったら「男だから〇〇すべき」という考えは手放す勇気は必要じゃないですかね。

 

手に入れるのは簡単ですが、手放すのは難しい。

だからこそ、この価値観を変えることは大事じゃないですかね。

 

 

 

▼智子

夫が専業主夫になって私がフルタイムの看護師になって立場が逆転してはじめての春休みに子どもが一日中家にいた時に夫が耐えられずにいった言葉が、

『お前らもう学校に行け』

でした。

 

その時、私が家にいて「なっ?私がよく言ってた言葉やろ?しんどいやろ?」と言ったら笑ってました(笑)。

 

あと私が休みの時にご飯を作った夕食の時間には、『あーっやっぱり作ってもらうご飯は美味しいなぁ』って。サラリーマン時代には聞いたこともない言葉です。

 

だからみなさん、無理せずに1回役割を逆転したらいいかもしれませんよ。

 

絶対に専業主夫(婦)の方が大変です。

絶対ってことはないかな?(笑)

 

 

 

 

 

 

伊達夫妻の人生を変えた音楽・本

私の歌』松崎しげる

 

▼功一

声が素晴らしい。

しげるの原点が入ってる。

日本人離れした歌唱力ですね。

 

 

 

『自分の中に毒を持て』

『自分の運命に楯を突け』

『自分の中に孤独を抱け 』

/岡本太郎

 

 

▼智子

うちの息子たちはマイノリティで、私もマイノリティの親。

最初は普通の子に近づけるように育てていて、世間の評価気にしてたんです。

でも、この本に出会って社会から評価されなくても無条件に生きてる彼らについて行こうと思えるようになりました。

 

「こうあるべきだ」「これをしなくてはならない」と思っている方に読んでもらいたい本です。

きっと心が軽くなります。

 

 

伊達功一 プロフィール

生年月日:1963年9月29日

出身地:兵庫県

 

2歳から大阪府高槻市で育ち、市内の中学校を卒業後、工業高校へ進学。

卒業後、何故か歯科技工士の専門学校に進学し、国家資格を取得して歯科技工士として働き始める。

その後、某電機メーカーなど2度の転職をした後、専業主夫に。

 

障がいのある2人子どもを育てることを決意。専業主夫2年目からはPTA会長にも挑戦。

「男は〇〇であるべき」ではなく「自分らしく生きる」という思いを持って日々生活を送っている—。

 

 

▼製作・著作

HARU(@harumizuki423

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

HARU/ストーリークリエイター

35歳、2児の父だけど公務員歴14年で退職してフリーランスに。著書『グッバイ公務員』を書籍化するためクラウドファンディングを行ったところ、38日間で115人から609,806円を支援してもらいSUCCESS!!/”安定を捨てての挑戦”を身をもって示します。職業:ストーリークリエイター