“リスクの高い研究”にチャレンジできる世界へ! 米川雄基の人生ストーリー (前編)

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「自分の人生はこのままでいいのか?」

30代半ばになるとこんなふうに考える人がいるのではないだろうか。

 

人生には何度かのターニングポイントがある。

変化を起こそうとしても、勤務先でのキャリアや、これまでの安定した生活を手放せずに踏みとどまる。

そんな人が多い中、一方でそれらを投げ捨てて挑戦する人もいる。

 

彼の名は、米川雄基、36歳。

国立大学を卒業した後、大学院に進学。生物・バイオの最先端の研究を行っていた。

 

その後コンサルタントのキャリアを経て、商社に転職。海外を飛び回りバリバリ働いていた、いわゆる「デキる」人物だ。

しかし、2018年の9月末で勤めていた商社を退職し、大きく人生の舵をきった。

 

 

 “リスクの高い研究”にチャレンジできる世界にしたい—。

それを実現するには研究をお金に変えていくことが必要だという。

 

この思いから彼は起業し、パンゲア株式会社という会社を設立。

生物・バイオの研究者に向けた新しいサービスを始めるという。

 

なぜ、これまでのキャリアを捨ててまで、新しい道に進むのか。

どこからその価値観は生まれたのだろうか。

 

 

「コンサル」「商社」…華やかなキャリアを捨てて、なぜ起業?

Q:30代半ばでのリスタートですね。大学院のときから生物・バイオの研究に携わり、新しく立ち上げるビジネスもその研究に関わるビジネスをされるということで……。「バイオの研究」と言われても「すごく難しそう」っていうのが正直な印象ですが、どういう研究をされるんですか?

米川:生物・バイオの研究にも色んな分野があるんですが、自分が関わっているのは新しい薬を作り出す研究ですね。新しい薬を創造するという意味で「創薬(そうやく)研究」と言われています。

世の中から病気で苦しむ人を無くすことが目標で、がんだとか認知症だとか、病気を治す薬はどうやったらできるんだろうと考えて、色んな研究をします。

 

 

Q : やっぱり難しそうですね(笑)。そもそもこの分野を志したのはいつ頃?

米川:生物・バイオの分野に進もうって思ったのは、高校の時です。

両親が教育熱心で、小学生の頃から学習塾とピアノを習っていて、子供の頃からわりと真面目に勉強をしていました。

そういう環境で育ったので、高校は進学校に入ったんですけど、昔から数学や理科が得意で自分のことを「理系」って自覚してて、大学でも理系の学部を志望したんです。

どの学部にしようかと考えた時に、「生物」に惹かれたんですね。なぜかと言うと、数学とか物理とか化学って、昔の研究者が色んなことをすでに明らかにしていて、あんまり未知の部分が残っていないと思って。本当は全然そんなことないんですけど、当時はそう思いまして。

一方で生物は、当時「ヒトのDNAを全部読むことに成功しました」っていうニュースをテレビで見たんですけど、テレビに出演した研究者の方が「DNAを読んでみることはできたのですが、何が書いてあるかよくわかりません」ってコメントをしていて、「なんじゃそりゃ」と。

「まだまだ分かっていないことが多い学問やなぁ」と思って、魅力的に映りました。

 

 

Q:冒険心というか、可能性を感じた??

米川:そうですね。「生物の分野なら、ニュートンやエジソンが大きな発明を生み出したみたいに、自分でも何か大きな発見が出来るんじゃないか」って思って、ワクワクしましたね。今振り返ると、当時からなんとなく「研究に携わりたい」って考えていたと思います。

それで、大学では「理学部生物科」を志望したんですけど、高校の先生からは、「理学部は基礎研究をやるところだから就職は厳しいぞ」と言われてました。親にもそれとなく反対されました。

 

でもそれで、逆に燃えましたね。

 

中学からエレキギターを始めて、激しい音楽が好きだったんですが、性格的にも音楽に感化されていて。「親も教師も反対する学部とかめっちゃロックやな。絶対そこ行こう」と思ったんですね(笑)。みんなが選ばない、他の人と違うところに行きたかった。特に根拠も無く「生物(バイオ)は 絶対将来儲かる産業になる」と信じてました。

こうやって振り返ってみると、当時は「一旗挙げてやる」って感じで、社会のためとかっていうのはあまり考えられてなかったですね。

就職が厳しいバイオの研究者。友人の自殺。「何かがおかしい」と思った。

Q:よく「理系だと就職に有利」って聞いてたんですけど、生物・バイオの研究者として就職するのは狭き門だったんですか?

米川:ITとか、工学部とかに比べると、就職先は少なかったですね。実際に大学に入ってみると、少なくとも大学院に行かないと研究者としては就職しづらいとわかりました。

それならということで、大学院に進学することにしました。同じ大学の大学院にエスカレーター式に進学する道もありましたが、自分はたまたま面白い研究をやっている研究室を見つけて、出身の奈良県にある奈良先端大という大学院に進学しました。

 

奈良県生駒市にある奈良先端科学技術大学院大学

奈良県生駒市にある奈良先端科学技術大学院大学

米川:大学院で研究をして、2年間の修士課程を終えるんですけど。研究は面白かったものの、結果は出せなかったんですよ。1年半くらい研究を進めた時点で、そもそもの仮説が間違っていて、これまでコツコツと何日も徹夜して実験した努力が、ほぼ無価値だと分かるんです。かなりキツかったですね。

 

 

Q:研究で成果を出せないと就職は厳しい?

米川:もちろん可能性はゼロではないですが、まったく成果を出していないと研究者として就職するには少し不利でしたね。ぼくも就職したい企業には採用してもらえませんでした。自分が行きたかった企業は、そもそも博士課程まで出てないと研究者として採用されるのは難しいという事情もありました。

でも、博士課程まで進むとなるとさらに学費もかかりますからね。奨学金を借りながら大学院に通ったら、卒業した時に高額の借金を背負うことになります。

「ポスドク問題」って聞いたことあります??

 

 

Q:聞いたことないです。

米川:科学で国を強くしようっていうコンセプトで、大学院に入学できる定員を大幅に増やすという政策を国が取ったんですよ。加えて、大学で数年間「期間限定」で多少お金を貰いながら研究できるという体制を作って、国として博士の研究者を10,000人増やしました。

ただし、特にその人達のその後の就職のことまでは考えてなかった。結果として、大学院を卒業後の博士(ポストドクター)が研究者になれずに、高額の借金(奨学金)を背負うことになって。就職もできなくてコンビニのアルバイトとして働いたり、自殺者や行方不明者も多く出たんです。

動画を検索して見せてくれる米川

動画を検索して見せてくれる米川

 

米川:YouTubeにこのことがわかりやすく説明されてる「博士100人の村」っていう動画があります。

 

Q:15万回再生!結構再生されてるじゃないですか!知らなかった…。

米川:ちょっと暗い話になってしまいますが、実はぼくの周りでも、大学の同じ学科だった同級生(仮名:A)と、大学院の時の知り合いが自殺してるんです。

自殺をした理由は、本当のところは本人以外には知るよしもないですが。2人とも生物・バイオの研究が好きで、もちろん研究者の道を志ざしていた時期があったと思うんですね。少なくとも研究が上手くいかないこととか、就職先も無いっていうのは理由の一つにはなっていたはずで。

志があり、努力していた若者が自ら死を選ぶ現実に、「なんかおかしくないか?」と、強い違和感を抱いたんです。

 

Q:「努力する者はみな報われる」っていうのは理論的には必ず成立しないと思いますけど、そういう風に考えられる米川さんは人間味があるなと感じますよ!交流があった身近な友人や知人の自殺は影響を受けますよね。

米川:同級生だったAは、明らかに「世間の常識」ってものに馴染めなくて、「変わったやつ」って評価されるタイプでした。音楽マニアで、家にこもって授業に来ない。哲学的で、いつも頭のネジが一つ飛んでいる発想をしていました。研究では皆が思いもつかないアイデアを考えつく。天才肌で、色んな才能に溢れてましたね。

自分とはタイプが違って、親友みたいに仲が良い友達にはなれなかったんですけど、大学の文化祭では一緒にバンドを組んで出たりとか、つながりはありました。でも大学を卒業してしばらく経って、Aは自殺します。本人の気持ちは想像することしか出来ないですが、少なくともAにとっては、日本の企業に勤めるっていう道は馴染まなかったですね。統率が取れてルールがしっかりしている日本の企業は、彼にとっては窮屈な場所だろうなぁと思います。

大学に残って、教授を目指して研究するという道も狭き門でした。「変わったやつ」と評価されるAに、研究者としてのチャンスが与えられるほど大学には職も余裕もなかったと思います。

 

 

研究で稼げれば、研究者が安心して研究に打ち込める。もっと”リスクの高い研究”にチャレンジ出来る。


Q:「研究をお金に変えることができる世の中にしたい」っていうモチベーションはその経験から生まれたんですか?

米川:そうですね。「稼ぐ」っていうと強欲なイメージが付いてしまうかもしれないんですけど。生物・バイオの研究って、いまだに未知の領域(ブラックボックス)が他の分野に比べて大きいんですよ。

自分自身も研究をしていたからわかるんですけど、そもそも研究には、リスクの低い研究と、リスクの高い研究っていうのがあるんです。生物・バイオは、他の分野と比べるとリスクの高い研究をいっぱいやらなきゃいけない分野だと思っていて。

 

Q:その「リスク」というのは、研究の成果が出やすいとか、出にくいという意味で??

米川:そうです。生物の仕組みは本当に複雑で、最先端の研究者でも分からないことがいっぱいある。そんな状態で「よくわからないけどやってみよう」「これまでの常識とは違うけどやってみよう」と、失敗するかもしれないリスクを取って研究する必要があると考えています。温泉を掘ることに似ています

昔はどこを掘ったら温泉が出るかがわからなかったので、とにかく掘ってみて、いっぱい失敗して、ようやく温泉を探し当てていた。

リスクが低い研究は、結果が出やすいので放っておいても誰かがやる。でも、これまで治らなかった病気が治るとか、人間の生活が豊かになるようなインパクトの大きい研究ほど、リスクの高い研究になります。そういう研究にこそ積極的にチャレンジしないといけないと思うんですよ。

 

そのためにも安心して研究できる余裕、セーフティーネットを作ることが必要だと感じてます。失敗しても良いんだと。失敗する研究者も、成功する研究者も、皆が安心してリスクの高い研究に打ち込めるような、経済的な余裕があるといいなと

大学院の研究で成果が出なかった時に、自分は研究者としては世間に認められるレベルじゃないと自覚したんですけど、研究という業界には携わりたかったので、「研究者が安心して研究ができる環境」を作ることに挑戦してみたいと思うようになって。「じゃあどうする?」と考えた時に、そもそも物事をお金に変える「ビジネス」って、一体何なんだろうと思って、ビジネスのことを学ぼうと思ったんです。

 

Q:研究者の目線を持ちつつビジネスを学んでいくことになるわけですね。大学院卒業後は、具体的にどんなスキルを身につけてきたんですか??

米川:大学院卒業後は1年間色々やってみようと思って、とにかく動いてみました。生物・バイオとITが将来融合して新しい研究分野が生まれてくるんじゃないかと思って、ITベンチャーでエンジニアとして働いてみたり、東大の知財系のNPOで、ITとバイオの研究者が一緒に働いていると知って働かせてもらったり。ビジネスプランを考えて、そのとき知り合った友人と一緒にビジネスプランコンテストに出たりしていました。

そうこうしていたら、あるコンサル会社に拾ってもらって、もっとビジネスのことを学びたいと思って入社しました。

 

コンサルでの修行時代を経て、もう一度バイオの道へ。「研究者のサポートができる仕事は無いか?」

米川:その会社には医療系のコンサル部門があって、その部門への配属を希望していたんですけど、ぼくの入社時にタイミング悪くその事業が売却されてしまって。結果的に、自動車部門に配属になり、自動車メーカーや自動車ディーラーのコンサルティングをやっていました。

コンサルタントの仕事は楽しくて、働いているうちに色んなスキルや知識が身についていったんですけど、「研究者が安心して研究できる環境を作りたい」という思いはずっと持っていました。

 

Q:その思いを持っていたものの、生物・バイオの分野でのコンサルタントではなかったわけですよね?

米川:はい、それで某転職サイトに登録して、「生物・バイオの領域で、研究者のサポートができる仕事はないですか?」と聞きにいきました。最初は担当の方から「例えばどんな仕事がありますか?」と聞かれて、「いや、それは自分でもわかりません」というやりとりをして(笑)。担当の方に根気強く探してもらって、「住商ファーマインターナショナル(以下:住商ファーマ)」という商社が1社だけ見つかったんです。たまたま中途採用の求人が出ていて、そこを受けたところ採用になりました。

住商ファーマでは、国内の製薬企業で働く研究者をサポートする仕事をしていました。製薬企業の例としては、CMとかでよく皆さんが目にするのは武田薬品とかエーザイ、大鵬薬品などでしょうか。そういった製薬企業で働く研究者の方に、海外の新しい技術を持った「バイオベンチャー」を探して見つけてきて、紹介してつなぐ仕事です。

わかりやすく言うと、国内の研究者が「こんな新しいアイデアがあるけど、 実験技術やノウハウがない」と困っているところに、「アメリカのA社がこんな技術を持ってるんですが、それを使ったら上手くいきますか?」 と提案して、採用してもらえると報酬をいただける仕事です。

気づけば28歳になっていて、30代も目前だし。

グローバルな仕事ですが、英語はどちらかというと苦手でした。コンサル時代は生物・バイオの研究からは離れていて正直不安もありましたけど、「まさに研究者をサポートしてる仕事で、チャレンジしてみたい!」と思って転職しました。

 

 

 「お前がやれると思うなら、やってみたらいい」裁量を持って、チャレンジさせてもらえた商社時代

Q:いきなりビジネスで英語を話せって、これまで英語が苦手だったら結構怖いことだと思うんですけど、よく飛び込みましたね。

米川:2011年の4月に入社したんですが、入社してさっそく、あるドイツのバイオベンチャーの人たちと国内の研究者との面談に立ち会うことになったんです。

 

Q:え!?(笑) それ大丈夫だったんですか?

米川:上司が体調不良で急遽欠席して、困ったことにぼく一人で対応することになって、もう半端じゃない量の汗をかきながら対応しました。

研究者とバイオベンチャーのメンバーとで直接対話してもらえたのでなんとか乗りきれたんですが、内容が全くわからなくて。でも、「うんうん」と分かっているふりをしてうなづいて。あの日のことは忘れられないですね。

あと、入社3ヶ月にして、「1人で海外出張に行ってきて」って言われて行ったりもしました。

出張先のアメリカ ノースカロライナにて

出張先のアメリカ ノースカロライナにて

米川:実際その環境に放り込まれると何とかなるもので、1年くらい経つといつの間にかスムーズに対応できるようになりました。

 

 

Q:仕事内容としては、まさにやりたかったことですよね。今独立されてるってことは、職場の人間関係や環境に不満があったんですか??

米川:いえ、大きな不満というのは無くて。仕事はすごく面白かったです。研究者をサポートして、研究に貢献できる内容だし、社内の先輩・上司にも本当に良くしてもらってました。

ある時、ぼくがある研究の論文を見て、「この研究は面白いので、海外の技術を紹介するだけじゃなくて、自分もこの研究に参画して、直接サポートしたいです」と上司に相談したんですね。10歳くらい上の上司で、入社したときからずっと面倒を見てもらってました。

 

そしたらその上司が、、、

 

「お前がやれると思うなら、やってみたらいい。社内で文句が出たら全部俺のところで受け止めておくから」

 

そう言ってくれて。それがすごく嬉しかったですね。

論文を出した研究グループのリーダーの方に提案に行くと運良く技術を採用してもらえることになり、その結果、商社という立場でしたが自身で研究もやることになって。その研究プロジェクトは一定の成果が出て、共同で記者発表を実施したりと、色んな経験をさせてもらえました。

そのプロジェクトは今も継続しています。

▼研究に参画したプロジェクト:尿の検査でがんを発見する技術の研究
http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2016/06/0614a.html

 

 

Q:裁量があってチャレンジングな企業だったんですね。

米川:7 年半在籍をして、後輩も増えてきて。上司のおかげで色んなチャレンジをさせてもらっていたので、自分が上司にしてもらったように後輩に接してたら、最初は乗り気じゃなく働いてた後輩がぼくの分まで仕事を取りに来てくれるようになって。

そうなると、ぼくは新しい仕事に取りかかれるようになるんですね。

チームとしての強さがある企業だと感じてます。

 

 

 

しかし、米川は2018年9月末をもって、住商ファーマを退職。

ベンチャー企業の代表となったが、年収は3分の1以下になったという。

順調にキャリアを積んで、安定した生活を送っていた彼がなぜ起業したのか?

 

「後編」に続く。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

HARU/ストーリークリエイター

35歳、2児の父だけど公務員歴14年で退職してフリーランスに。著書『グッバイ公務員』を書籍化するためクラウドファンディングを行ったところ、38日間で115人から609,806円を支援してもらいSUCCESS!!/”安定を捨てての挑戦”を身をもって示します。職業:ストーリークリエイター